大判例

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東京地方裁判所 昭和27年(行)175号 判決 1954年2月27日

原告 神田まさこ

被告 国

主文

一、原告は日本国籍を有する事を確認する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は主文同旨の判決を求め、其の請求原因として、

(一)、原告は大正四年二月四日日本人たる父久保寺愛治と同じく日本人たる母はなとの間に長女として出生した日本人であり、右母はなが神田姓を名乗ると共に同姓を称して居つたものであるが、昭和十年七月十六日朝鮮黄海道鳳山郡楚臥面細耕里十番地に本籍を有する訴外崔成根(朝鮮人)と婚姻し右訴外人の本籍に入籍した。(二)、右婚姻後原告は右夫成根と東京に於て同棲して居たが昭和十六年十一月朝鮮京域府永登浦に移転した。然る処右夫成根は間もなく他の朝鮮人の女と関係して原告と別居するに至り遂に翌十七年九月頃北支に行くと称して行方を晦まし原告を悪意を以つて遺棄した。依つて、原告は同十八年二月に東京に帰り板橋に住所を定めて印刷工として働いた。(三)、昭和二十年六月右成根の親より朝鮮に疎開する様奨めて来たので原告は再び朝鮮京域府永登浦に行つたが、右夫成根は妾と同棲して居り、原告との夫婦関係の回復は出来なかつたので原告は東京に帰る決意を固めた。併し、時宛も終戦末期で容易に東京に帰えれず其の内終戦となつたが、原告は北鮮地域の沙里院に夫成根の親と共に疎開して居た為日本に引揚げる事が出来ず、漸く昭和二十五年十二月釜山に辿りつき同地の日本人収容所に容れられ翌二十六年十月頃日本に帰る事が出来た。(四)、原告は以上の理由に基き夫成根に対する離婚の訴を東京地方裁判所に提起し同裁判所昭和二十七年(タ)第一三六号離婚事件として繋属したが同二十七年十月二十一日離婚の判決を得、同判決は同年十一月五日確定した。(五)、仍つて原告は同年十一月十四日東京都中央区長に対し右離婚判決の確定に基く離婚の届書を提出した処、同区長は昭和二十七年四月十九日附法務府民事甲第四三八号法務府民事局長通達に従い、もと内地人であつても日本国との平和条約の発効前に朝鮮人との婚姻、養子縁組等の身分行為により内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じたものは右平和条約発効と共に日本の国籍を喪失したものとして原告の右届書を受理しない。(六)、併しながら原告は本来日本人であり前記の如き理由に基き前記崔成根に対する離婚判決を得たものであり平和条約発効により日本の国籍を喪失すべき理由は毫もない。前記民事局長の通達は朝鮮人たる夫又は養親が平和条約の発効により日本の国籍を喪失する場合は本来の日本人たる妻又は養子も当然之に随伴して日本の国籍を喪失するとの見解に出るものゝ如くであるが右は新国籍法の規定に反するものであつて妄断たるを免れない。依つて原告が日本国籍を有する事の確認判決を求むる為め本訴に及ぶと陳述し、被告の所論に対し別紙添附の原告準備書面(第三)記載の通り反駁し、立証として甲第一乃至第三号証を提出し原告本人訊問の結果を援用した。

被告は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として(一)原告が其の主張日時主張の如き日本人たる父母の間に生れた日本人であり、其の主張日時主張の如き朝鮮人と婚姻し主張の如く朝鮮の戸籍に入籍した事は認める。(二)原告が右婚姻後主張の如き事情にあつた事及び主張日時主張の如き経緯の下に日本に帰国した事は不知。(三)原告が主張の如き離婚判決を得、該判決が主張日時確定した事並に原告主張の如く東京都中央区長が原告の右離婚の確定判決に基く離婚の届書を主張の如き民事局長の通達により受理しなかつた事は認める。(四)併し、原告は平和条約の発効により日本の国籍を喪失したものであると述べ、其の理由として別紙添附の被告準備書面及び同第二第三準備書面記載の通り主張し、甲第一号証の成立を認め、同第二、三号証は不知と答えた。

理由

一、原告が其の主張日時主張の如き日本人たる両親の間に生れた日本人であり、主張日時主張の如き朝鮮黄海道鳳山郡楚臥面細耕里十番地に本籍を有する訴外崔成根と婚姻し、右成根の本籍に入籍した事は当事者間に争はない。

右婚姻後原告は右夫成根と東京に於て同棲して居たが昭和十六年十一月頃朝鮮京城府永登浦に移転した処、右成根は其の後間もなく他の朝鮮人の女と関係して不貞行為を為し、翌十七年九月頃北支に行くと称して行方を晦まし原告を悪意を以つて遺棄したので原告は昭和十八年二月に東京に帰えり板橋に住所を定めて印刷工として働いて居た事実及び昭和二十年六月右成根の親より朝鮮に疎関する様奨めて来たので原告は再び朝鮮京城府永登浦に行つたが、右成根は妾と同棲して居り原告との夫婦関係の回復は出来なかつたので原告は東京に帰える決意を固めた処、時宛も終戦末期で容易に東京に帰える事が出来ず、其の内終戦となり、原告主張の如き経緯を経て昭和二十六年十月頃日本に帰つた事実は原告本人の供述によつて之を認める事が出来る。而して原告が其の後右成根に対する離婚の訴を当裁判所に提起し、原告主張日時離婚判決を得て該判決が確定した事実並に原告が右確定判決に基く離婚の届書を東京都中央区長に提出した処同区長は原告主張の如き法務府民事局長の通達により右届書の受理を拒んだ事実は当事者間に争はない。

本件は原告が離婚の確定判決に基く離婚の届書を前記区長に届出たところ同区長に於て其の受理を拒んだ事に端を発するものである事は明であるが、本件の直接の目的は前記民事局長の通達の当否にあるのではなくして原告が日本の国籍を有するや否やの点にある。

二、日本国との平和条約第二条(a)によれば日本国は朝鮮の独立を承認して済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄すると規定されて居る。之は朝鮮に対する日本の主権の放棄を意味するものであつて此の中に領土主権と人的主権とが包含される事は論を俟たない。右放棄された人的主権の対象は新独立国を構成する民族であつて之を朝鮮民族と呼ぶ事は可能である。右朝鮮民族とは法律上如何なるものであるかは右条約の趣旨によつて決定されなければならぬ。而して右条約の趣旨によれば朝鮮の独立を承認する事は結局朝鮮をして日韓併合前の状態に置かしめるにある事は明であるから右朝鮮民族とは日韓併合当時の韓国人即ち右当時韓国々籍を有した者及び其の子孫と為すべきものである。従つて、之等の者は右平和条約の発効によつて日本の国籍を喪失する事となる。

併し、右は原則であつて此の原則のみによつて凡べての場合を妥当に律し得べきものと考えてはならない多くの場合に於て原則は例外を伴うのである。

三、日韓併合前に朝鮮人の妻又は養子となつて韓国々籍を取得して居た者は前記の原則によつて律し得られるから問題はないが、其の後に朝鮮人の妻又は養子となつた日本人の場合は可なり複雑である。此の場合に於ける第一の問題は婚姻の一方の当事者たる夫又は養子縁組の一方の当事者たる養親の国籍の変動が他の一方の当事者たる妻又は養子の国籍に及す効果如何である。而して此の効果は国籍法の規定する所である。併し、国籍法は此の場合常に適用があると言う事は出来ない。蓋し、若し右の如き夫婦又は養親子が平和条約発効当時朝鮮に於て住民として定住するものであるならば右平和条約の趣旨によつて日本人たる妻又は養子は日本の国籍を喪失すると解すべきであるからである。(之は国際法上の原則に適合するのみならず本人の意思にも亦適合すると見る事が出来る。)併し、右の如き夫婦が右条約発効当時朝鮮に住所を有たず日本に定住するものであるならば国籍法の適用を見るべきものである。何んとなれば右平和条約は日本の朝鮮に対する主権の放棄従つて、又、朝鮮人に対する人的主権の放棄を規定したに止まり、之より朝鮮人の妻となつた日本人又は養子となつた日本人に対する人的主権の放棄を直に推断する事は論理的に将又、右条約の趣旨よりしても不可能だからであり、此の故に、右の場合に於ける妻又は養子の国籍の問題は一に国籍法によるべきものだからである。

国籍法は朝鮮には施行せられて居なかつたのであるけれども、此の趣旨は朝鮮の地域及び朝鮮人に国籍法を適用しないと言うに過ぎない。而して国籍法は日本人の日本の主権に対する身分関係の得喪を規定したものであり、其の効力は属人的であるから日本人が国籍法の適用を受けない朝鮮人の妻又は養子となつても国籍法上の身分には何の変異もなく、従つて、依然として国籍法の適用を見るのは当然である。

四、原告の夫たる朝鮮人崔成根は平和条約発効当時朝鮮に居住して居た事は本件に於て明である。而して右当時原告と右成根との間には尚法律上の婚姻関係が存在して居た事も亦明であるから本件は前項最初の例、即ち、夫婦が平和条約発効当時朝鮮の住民であつた場合に類似する。併し、朝鮮の住民として平和条約の発効により日本の国籍を喪失すると為さんが為には住民としての実質が存在しなくてはならず此の場合に於ける住民としての実質は結局夫婦としての実質に其の本源を求むべきである事は疑を容れない。蓋し、法律上の夫婦関係にして其の実質が存する場合は妻の住所は夫の住所と共にあると解すべきであるから夫が朝鮮に住所を有する以上妻も亦朝鮮の住民と為す事が出来るからである。併し、夫婦の実質が失われて居る場合は直に右の如き論断を加える事は出来ない。而して若し妻が正当に離婚原因を得て夫と別個に独立して日本に住所を有する場合は最早や之を以つて朝鮮の住民と為すべからざる事は寧ろ言を俟たぬ所である。本件が当に此の場合に該当する事は前記認定事実によつて明である。故に原告は平和条約の趣旨によつて日本の国籍を喪失したと為す事は出来ない。さすれば問題は単に夫が日本の国籍を喪失した場合に於ける妻の国籍如何の点に帰着せざるを得ない。国籍法は夫婦同一国籍主義を採らないのであるから右の場合妻が日本の国籍を失わない事は明瞭である。此の故に原告は日本の国籍を失わず、依然として日本の国籍を有するものと謂わなければならない。(一九二三年の英帝国首相会議(The Imperial Conference of 1923 )は英国に於ける従来の夫婦同一国籍主義に変更を加える事に不同意を表明したが、併し、婚姻が事実上存在せざるに至つた場合は之を除く事としたのであるが、右は前記判示の原則の合理性乃至健全性を証明する一材料たるを失わないであろう。)

五、被告の主張は其の第一、第二及び第三準備書面に於て多少論拠の異るものがあるのでみるが、併し、第三準備書面に於て述べる所が最も整つた主張と見る事が出来よう。之によれば平和条約によつて日本の国籍を喪失すべきものは本来の朝鮮人であると共に之等の妻又は養子となつた日本人であると為し、従つて、朝鮮の戸籍に登載せられた者は凡べて日本の国籍を喪失する事となると言うにある。併し、夫婦又は養親子が同一国籍を有すべき国際法上の原則がないのは勿論寧ろ其の逆が従来よりの国際私法上の傾向であり、有力な提唱によつて条約が結ばれ其の国内法を夫婦独立の国籍主義に更めた国が多数ある事は人々の知る通りである。平和条約に於て被告主張の如き趣旨を認むべき明文がない事は勿論である。故に平和条約の趣旨が被告主張の如くであると解する事は出来ない。(此の点は前掲判示参照)

元来国籍は一国の国民たる事を表明するものであり、之には二重の意味がある。第一は国を構成し主権帰属の一単位を為す事であり、第二は国権の目的となつて其の義務を尽す事である。従つて、第一は国民団結の紐帯を為す精神を要し、第二は国権に服従する忠誠心が必要である。之は国民が人格を有する事を当然予定するのであるから国籍の得喪は当事国間に於て物の取引の如く恣意的に条約を以つて決定し得るものではなく必ず相当の充足理由がなくてはならない。夫婦又は養親子関係は夫れ自身必ずしも右の充足理由を為さないものではない。併し、若し其の実質が失われ単に法律上の形式のみとなつて居る場合等(其の他の場合は前段説明の例参照)は最早や国籍得喪の十分な充足理由があると為す事は出来ないのである。従つて、仮りに被告主張の如き原則が将来日韓両国の条約によつて確定したとしても右の如き充足理由を欠く場合は右条約の除外例となるべきは寧ろ当然である。被告主張の根本的欠陥は其の原則の例外を見落した所にある様に見える。

尚、本件に直接関係はないが、日本人の妻、入夫或は養子となつた朝鮮人は本則として日本の国籍を失うべきものである事は前段説明の原則によつて明であるが、此の点は日韓両国の条約によつて然らざるものと為す事は可能である。

六、仍つて、原告の本訴請求は理由があるから訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 安武東一郎 綿引末男 福森浩)

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